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東京高等裁判所 昭和27年(う)370号 判決

控訴人 被告人 斎藤雅男

弁護人 青柳孝 青柳洋

検察官 野中光治関与

主文

本件控訴を棄却する

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人青柳孝同青柳洋共同の控訴趣意は別紙記載のとおりでこれに対して次のように判断する。

論旨第三点の(一)について。

一件記録によると、亡飯田豊助がその所有にかかる本件不動産を飯田延要の長男一雄に贈与する意向を有し、その意向を生前親戚の者に表明したこともある事実を窺えないではない。しかし、原裁判所及び当裁判所の取り調べたすべての証拠を綜合しても、右豊助の生前に法律上有効な贈与が飯田一雄に対してなされたということは認めることができず、いわんや右豊助が自己の署名印章を用いて贈与証書、登記に必要な委任状等を作成し所有権移転の登記をすることを飯田延要その他の者に委任していたような事実は認められない。そして、かくのごとく文書の作成につき名義人本人の承諾がないのにその名義を用いて文書を作成すれば、その内容が真実に合致すると否とを問わず私文書偽造罪は成立するのであり、また、公正証書原本不実記載罪は、申立事項の内容が不実である場合のみならず、申立人に関して虚偽の存する場合にも、成立するのであるから、被告人の原判示所為は飯田豊助の名義を擅に用いた点においてすでに以上各罪の構成要件に該当するものといわなければならない。いわんや本件においては贈与そのものが未だ存在していなかつたこと前述のとおりであるから、なおさらのことである。次に、論旨は、本件においては飯田豊助の相続人十名がその共有にかかる不動産を一雄の所有名義とすることにつき同意していたのであるから、その登記はいわゆる中間省略の登記の一種として犯罪を構成しないと主張する。なるほど、甲、乙、丙間に順次所有権が移転された場合に甲から直接丙に所有権が移転されたもののように登記するいわゆる中間省略の登記は民法上有効なものとされているのであつて、刑法上においても公正証書原本不実記載罪の成立なしと解する余地はある(しかし、大審院の判例はかつてこれを同罪にあたると解したことがある。)。けれども中間省略の登記は、右の甲、乙、丙がそのことに同意し、甲、丙が現実に登記を申請した場合にはじめて民法上有効とされるのであつて、すなわち、この場合には、登記申請人自体に虚偽はないし、不動産の所有権が甲から結局丙に移つたという事実にも虚偽はないのである。しかるに、本件の場合においては、かりに登記前に故飯田豊助の相続人十名が本件不動産を飯田一雄に譲渡した事実があつたとしても(しかもこの事実は証拠上必ずしも確認されるものではない。)、いいかえるならば右不動産の所有権が飯田豊助から飯田一雄に結局移つたということは事実であつたとしても、少くとも故飯田豊助が他人に対し生前に登記申請を委任した事実がないのにかかわらずあたかもこれをしたかのように装つて登記の申請をした点において前掲の申立人に関する虚偽が存するのであつて、これをにわかに一般の中間省略の登記と同一視し、真実と符合するものとすることはできない。従つて右の所論もまた採用することができない。また、論旨は実害がないことを云々するけれども、そもそも文書を偽造する罪は文書に対する公共の信用を保護法益とするものであつて、これを公正証書原本不実記載の罪についていえば、公務員に対し虚偽の申立をして公正証書の原本に不実の記載をなさしめること自体が公正証書の内容の真実性に対する公共の信用を危殆ならしめるものとして処罰されるのであるから、その行為によつて他のなんびとかに財産上の実害を生ずるかどうかは犯罪の成否に影響がないものといわなければならない。従つて実害なきことをもつて違法性を阻却するとする所論もまた採ることができない(なお、被告人に故意なしとする主張については、論旨第二に対する判断中に判断を示すこととする。)。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 大塚今比古 判事 山田要治 判事 中野次雄)

控訴趣意

第三点被告人斎藤は、詳細な事情は一切知らず単に司法書士としての業務を行つたにすぎないものであること、第二点に記述した通りであるが、仮りに第二点が認められないとしても左に記載するように原判決には著しい事実誤認の違法あるものである。

(一)即ち本件家屋に関しては飯田豊助が昭和二十二年十月十七日に飯田延要方に於て親戚に当る名取達男、名取雄太郎、名取定七、中沢秀二郎等と協議し同人等に対して、豊助死亡後の財産は飯田一雄に贈与するよう言明し、且つその所有名義も移転することを依頼していたものである。証人名取達男は第二回公判に於て、「その時豊助から自分には跡取りがなくて淋しいが今になつて跡取りを探すのも困難だからそれについて今迄に自分の家を建てる時にも延要に心配してもらつたりしているのでこの家(延要家)の一雄にでも跡取りしてもらつて、自分の家の名義も一雄に与へて病気になつたら看病してもらい、又私が死んだ後は回向供養もしてもらいたいものだという話がありました。」と証言して居り、又証人名取雄太郎もこれと同旨の証言をしているのであつて、この事情は誠に明らかである。更に又斎藤被告人が登記手続を依頼された時は、既にこま代が家事調停の申立をなし、家庭裁判所に於て、十人の相続人が存在する事を諭へられ、その十名の協議が調つて、一雄に所有名義を移転すべき事が定つていた時である。以上のように飯田豊助も又十人の相続人も皆本件家屋を一雄に贈与しその所有名義とすることに何等の異存もなかつたものであり、その手続を如何にすべきかゞ問題とされるのである。而して民事に於て登記は現在の所有権の公示をなすものであつて、其の経路を問題とせず、中間省略登記が認容されていることは周知のことであり、学説、判例も認めているところである。十名の相続人に相続登記をし、更に十名の者から一雄に贈与するのは徒らに無用な煩雑な手続を重ねるものであり、寧ろ豊助から一雄に贈与の手続をするのが、簡明迅速にして実社界の実情に副ふものであり、さればこそ民事上中間省略登記が有効と認められている所以なのである。

以上記載したところから明かなように斎藤被告が中間を省略して豊助から一雄に贈与の登記をしても客観的に違法性なき行為であると云はなければならない。故人豊助の意思からいつても又十人の相続人の意思から云つても、その意思通りの結果となつているのであつて何等の実害もなく、行為の性質上本質的に違法性を阻却するものであると云はなければならない。(刑法第三十六条以下に各種の違法阻却事由が規定されているが、違法性は本来超法的な価値判断であるからこれらの規定は例示的のものとみるべく、制限的なものと解すべきでなく随つて本質的に違法性を阻却する場合も当然認められなければならない。)又主観的には右に記載したところから明かなように斎藤被告人には本来罪を犯す意思がなかつたものであり、換言すれば故意なき行為であつて、可罰性なき行為である。

右のように本件行為は主観的には故意を欠き客観的には本来違法性なき行為であつて何れよりするも罪責なき行為であるのに拘らず、原判決はこれを有罪と認めているものであつて、著しい事実の誤認であると云はなければならない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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